丹後人図鑑

Interviews

『 福祉×丹後で、地域の暮らしや働き方を変えていく 』

社会福祉法人みねやま福祉会
てらす峰夢(児童養護施設)施設長

櫛田 啓 さんTasuku Kushida

Uターン 丹後人歴:18年+2010年~

京丹後市峰山町出身。
どんなことにも、熱く全力で取り組む福祉のヒーロー。
固定概念にとらわれない、新しい地域×福祉のかかわり方にチャレンジしています。
自分でも福祉で関われるかな?という疑問があれば迷わず啓さんのもとへ!
https://www.mineyama-fukusikai.jp/

夢はサッカー選手。祖父母が立ち上げた社会福祉法人の"跡取り"になりたくなかった。

全国レベルの環境でサッカーがしたくて、関西の大学に行きました。高校のときにサッカーで全国制覇を目指すと言うと、「それは無理だ」と笑われ、地元のそんな閉鎖的な雰囲気が嫌いで、早く出て行きたいと思ったし、絶対丹後に戻らないと決意していました。祖父母が立ち上げた社会福祉法人があったので、生まれたときから、いろんな人に後継ぎだと言われていたことも、自分の人生を勝手に決められているのが嫌で、絶対ならないと反発していました。

そんな自分が福祉を目指すきっかけとなったのは、大学で4年間自分を指導してくれたサッカー部の総監督に福祉の世界が合っているんじゃないか?」と言われたことでした。家庭事情を話していなかったので衝撃的な一言でした。
実家のことを話すと「そんな環境があるのに何をやっているんだ、運命を受け止める時期がいつか来る」と言われて、自分は逃げていただけだと気付かされ、大学卒業後に1年間、福祉の専門学校に通い社会福祉士を取得しました。
自分はなんでものめり込むタイプで、大学のサッカー部では全国の強豪校から集まってきたメンバーの中で試合に出場する機会を勝ち取り、全国大会の決勝まで勝ち進んだ時はスタメンでフル出場しました。結果は準優勝でしたが、その経験を通じて諦めずに頑張れば何でもできるんだと自信が持てるようになりました。そして、福祉の仕事にのめり込むまでそれほど時間は掛りませんでした。

嫌いだった丹後。でも「終わっている」と言われたとき他人事ではなかった。

社会福祉士取得後、福岡の児童養護施設で4年勤務しました。
福岡ではいろんな体験もさせてもらい食べ物もお酒も美味しかったし、居心地が良かったです。ただ、仕事でだんだん中心人物になってきて、いずれいなくなる人が新しい事業の立ち上げなど担っていいのか?というように思っていたタイミングで父親に帰って来いと言われたこともあり、28歳で丹後に帰ってきました。

戻ってきた丹後は、人口が減少し、元気だった人たちが年をとり、地域の活気が著しく低下していたことに衝撃を受けました。歓迎会をしてもらったとき、これからここに住むのに「今の丹後は終わっている」と言われました。それをどうにかしようと思わないのかと聞くと、中心になる若手がいないとのことだったので、じゃあ自分でやろうよと。
福岡で働いていたときは、施設の中で子供達と関わる仕事が多かったので、地域を意識したこともありませんでしたが、地元に帰ってくるとそれだけじゃダメだと思いました。仕事は仕事で頑張るけど、それだけじゃなく地域にも関わらないといけないと感じました。

実際には、地域は「終わっていなかった」。頼れる仲間がいて点と点が繋がりはじめた。

地域活動で結果が出始めると、次第に地域の活動が忙しくなり、家族の時間がとれなくなってしまったときに、地域と仕事(福祉)を切り分けなくていいのではと考えるようになりました。
福祉はまちづくりの活動にリンクしていることに気付いたとき、福祉の部分で担った方がいいことは自分が、それ以外のことは別の人に頼んだらいいと思うようになりました。

実際に地域に入ってみると、面白いことをやっている若い人はいて、繋がっていなかっただけで、いろいろ活動していくとだんだん噂が広まり、9年経った今、点と点が繋がってきたと感じています。
みんなが繋がってきて、大きいことをやろうとしたときに集まれるようになりました。

福祉×地域 幅広い分野の人が丹後に来れる新しい働き方の提案。

福祉の仕事は一般的に制度や政策に基づいて行われます。例えば、虐待を受けた子供を施設で預かりケアするのが児童養護施設の仕事ですが、本当は傷ついた子供をケアするだけでなく、子供が傷つくことのない社会を創ることが大事なんじゃないか、そのためには、地域で人と人が支え合って暮らしていける状態を作っていくことが必要なんじゃないかと思うようになりました。

もともと、地域を見てきて、地域で足りてないものを補うために立ち上げられた社会福祉法人なので、いろんな働き方が可能な業界だと思っています。
また、自分もそうだったように、地域の子供達にとって、コンプレックスを抱えず夢を抱けるように、広い視野を持っている人にいっぱい来て関わって欲しいです。

例えばスポーツ選手が引退した後のセカンドキャリアとして夜間や期間・季節と限定的な働き方であったとしても働く場所の受け皿をみねやま福祉会が保障しつつ、地域の中で子どもたちにスポーツの指導をしてもらう。そこからもし福祉でステップアップを目指すならサポートするし、自分のやりたいことでご飯を食べていけるようになったらその道を選択することもできる。
スポーツは一例ですが、とにかく子供達が視野を広げられるような、多様な大人の働く場所になっていって欲しいです。そんな形で、福祉に一時的にしか関われなかったとしても、福祉に触れたことがある人が地域に増えて欲しいと思っています。

都会と地域の循環をつくる、主役になれるチャンスがある。

丹後はまだまだ余白がいっぱいある地域。どこかのパーツにはまりたいなら都会にいればいいと思いますが、主役になれるチャンスがあります。
自分でやりたいことがあり、開拓していきたいことがある若者が挑戦できる場なので、いったん丹後でやってみて、東京に勝負にいくというのもいいと思う。丹後でずっと過ごすと、井の中の蛙で視野が狭くなってしまうので、感度を高めるために、自分は意識的に広い世界を見に行くようにしています。
そういう地域と都会の好循環が生まれたら良いなと思うし丹後の人が広い視野に触れる機会を作っていきたいです。

“とっておきの1枚”

キャンプは丹後がいちばん!

しっかりした休みはなかなかとれませんが、1年に1度丹後の海でキャンプをしています。最近は丹後町中浜がブーム。1度、丹後に浮気して他県の星5つつくようなキャンプ場に行きましたが、人が多く居心地が悪くて帰りたくなり、2泊の予定が1泊で切り上げ、丹後で2泊目を。のんびり過ごせ、子供達も「ここがいちばん!」と大満足。それ以来、キャンプは丹後です!

撮影場所:てらす峰夢(峰山町)、社会福祉HERO’s TOKYO 2018 プレゼン(ベストヒーロー賞受賞)